神戸から世界へ!の願いを込めて…「村元姉妹」こと、タイでフィギュアスケートの指導者として頑張る・姉「村元小月(さつき)」さんとアイスダンス日本代表の妹・「村元哉中(かな)」選手を応援するブログです。
村元小月選手の競技生活を振り返る。


ジュニア時代の小月選手。顔は変わってないけど、ちょっとあどけないですねぇ^^




秋ごろから、時々、村元ママと小月選手の競技生活を振り返るお話をしています。
その中から、印象に残っていることをいくつか紹介します。

ノービス時代の事。

小月選手がノービス〜ジュニアの時代は、フィギュアスケートはまだまだマイナースポーツで
ジュニアの途中ぐらいから、今のようなブームにはなったものの
昔は、全日本のチケットは選手の親御さんがノルマで周囲に販売して回ってたのよ〜なんて話を。

小月選手は、ノービスの2年目でシード選手に選ばれて以降、怪我でシーズンの終盤まで
外れていた以外、ずーっと強化選手であり続けていました。
入れ替わりの激しい女子で、長年強化選手であり続けるのは凄い事なんですよね。
ノービス時代から、豊富な海外遠征の経験を重ねてきました。

ジュニアグランプリも、今のように厳しい出場枠争いではなく
あの当時は、小月選手達にも十分に出場枠が回って来て、多くの経験が積めたそうです。
今の子達はJGPS1つ出るのも大変よね〜と、村元ママ^^;

小月選手が世界ジュニアに出場し、翌年のジュニア特別強化選手になった年は
イタリアでの強化合宿とエキシビションに参加し(その年だけの開催だったようです)
ジュニアの推薦で初めて全日本に出た年は、9位で新人賞を受賞されました。
5度の全日本。スタートも9位で、ゴールも9位でしたね。(←今気づきました)

とにかく、小月のジュニア時代はいい時代で恵まれてたよ〜と、おっしゃっていました。

学業の事。

ご存じのとおり、村元姉妹はインターナショナルスクールに通っていました。
いつもいつも聞かされていましたが…競技生活と学業の両立は本当に大変でした。
学校の理解がなかなか得られず、海外遠征は1シーズンに2度が限界。
スケートでの欠席は公休扱いにならず、体調不良だろうと帰国後すぐだろうと休めなかった。
中には、競技への理解を示してくれない先生がいて、傷つけられた事もあったそうです。
練習時間が、1日1時間も取れない日々も続き、練習後朝まで勉強している事も。
選手たちがハードな生活に弱音を吐き、周囲からも転校を何度も勧められたそうです。

「スケートをやめた後の人生の方が長い。今の努力がきっと将来に役に立つ」

ご両親の思いで、村元姉妹はハードな生活を乗り切りました。
インターナショナルスクールに通っていたから、英語でのコミュニケーションも取れるし
海外遠征では重宝され、FOIでは、カート・ブラウニング氏の通訳を務めた事もあったそうです。

ジャンプの話。

小月選手は、3Lo・3S・3Tの3種類のトリプルジャンプをプログラムに入れています。

もちろん、3Lz・3F、3-3をプログラムに入れる練習はされていましたし
実際にプログラムに入れた事も、成功させた事もありました。
コーチからも「今のスケーティングで、もう1種類トリプルを増やせたら」と言われていたし
日本のスケートファンは、ジャンプ重視の見方をされる方が多く
「低難易度ジャンプ」と揶揄される事、批判する人がいる事を選手は知っています。
「ジャンプが苦手な自分のようなスケーターは、日本では評価が低いんです」と言っていました。

怪我の前は、いつも「難しいジャンプを入れなければ」と話されていましたが、
怪我から復帰後は「自分が確実に飛べるものを飛び、スケーティングの質を高めたい」と言う方針に。
そして、その結果がNRW杯でのフリー2位の107.34点と言う結果に表れました。
トップ選手のように、3Lz・3F・3-3などの難しいジャンプは無かった。
しかし、すべてをクリーンに丁寧に滑りきり、念願のフリー100点越えを達成しました。
元々のスケーティングの良さに加え、特に今シーズンはスピンなどのエレメンツの質を高めました。
小月選手が目指してきたものが、結果として現れた瞬間でもありました。


怪我からの復帰。

当ブログの過去の記事と共に振り返ってみます。

「村元小月選手に関するお知らせ」…シーズンを欠場する告知と選手のコメント。
「村元小月選手の近況」…氷上練習を再開したとありますが、あの後も怪我に苦しんだようです。
「関西大学ウインタースポーツフェスティバル」…久々のスケートを見られました。
1Aもままならないのに、気合いで2Aを強引に降り、最後のステップでヘロヘロになったと言う。
SPですら体力が続かない状態だったんですよね。
久しぶりに小月選手にお会いできる楽しみと、無理しないでほしいと言う心配で複雑だったのを思い出します。

その後、チャリティ演技会、氷の甲子園を経て…徐々に本来のスケートを取り戻す過程を
運よく全て生で見守る事が出来たのも、個人的にはいい思い出です。

そして、「楽しい楽しい」と、ニコニコしながら、近畿ブロックへカムバックしてきました。
もう、3Loは見られないかもしれない。強化選手にも復帰出来ないかもしれないけど、
残りの2シーズンを、彼女なりに楽しんで過ごしてもらいたい…当初はそんな思いでしたが、
シーズン途中から、3Loを取り戻し、シーズン最後には強化復帰。(タイミングが???でしたが)
今シーズンは、ご存じのとおり。西日本までの全ての大会で優勝。
2010年のトリグラフトロフィー以来の国際大会にも派遣され、錚々たるメンバーの中で5位入賞。

そんな、いち選手の復帰の過程は、後輩スケーター達の励みにもなるだろうし
いいお手本となると思います。そして、ご自身の今後のキャリアにも役に立つ経験だと思います。

最後に。

Twitterにも書き、皆さんから反響が大きかった村元ママのお言葉。
140文字に強引に収めたのですが、こんな感じの言葉を言っていました。

怪我で強化を外れた年以外は、毎年強化メンバーに選んで頂き、
多くの海外遠征の経験をさせてもらった。今の日本のトップ選手達とは
子供の頃から仲良しだし、スケート連盟の方々にも本当にお世話になった。
その年の五輪のメダリスト達と、FOIで共演させてもらったりもした。
学校も頑張って通わせたおかげで、英語でのコミュニケーションを取れるようになったし、
トップ選手にはなれなかったけれども、積み重ねの成績が将来に繋がる結果となった。
あの子はいろんな方から幸せを貰って、恵まれた選手生活を送る事が出来た。

難しいジャンプを飛べたら、グランプリシリーズなどの大きい大会に出て
もっと上に行けたかもしれないけど、それが娘の幸せだとは限らない。
スケートを辞めてからの人生の方が長いのだから。

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村元小月(むらもとさつき)
1990年5月15日生まれ
関西大学卒業
2013年選手を引退後はタイでフィギュアスケートの指導者として活躍中。
詳しくはこちら
村元哉中(むらもとかな)
1993年3月3日生まれ
2014年からアイスダンスに転向。クリス・リード選手と共に平昌五輪出場を目指しています。
関西大学4年生
木下クラブ

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